2011/07/07号

 ウイグルとの出会い-お客さんがやって来れば、幸せもやって来る-

mehman kelse,bext kelidu

 
 
   今回はウイグル語教室の生徒さんの一人にお願いして書いていただいた、「ウイグルとの出会い」を
   素敵な写真とともにお届けします。80年代の貴重な写真を多数ご提供いただきました。 
   (以下生徒さんの文章を掲載)
Uyghurche
 
 
 
 
 私がウイグルを意識したのは、1980年。
いわゆるNHKの「シルクロード」の放送が始まった年です。中学生の頃から井上靖を愛読していたので、「シルクロード」とか「西域」という言葉には敏感でした。そして87年4月にあこがれ続けていたウイグルに、初めて行くことができました。今から丁度四半世紀前のことになります。それからずっともう一度行きたいと願っていますが、残念ながら今まで一度もその機会は訪れていません。
 
 
 当時(今も?)中国を旅行した人に旅先でのつらい体験の数々を語らせたら、一晩あっても足りないでしょう。誰一人「並ぶ」という概念の無いチケット売り場で、押し合いへしあいしながらやっと一番前にたどりついたのに、何を聞いてもつっけんどんに「没有!(無い!)」と言われ、仕方なく指定席ではないチケットで乗り込んだ列車の中で延々と席を探し続け、ようやく座れば隣の子供に足もとでお漏らしをされて靴がビチョビチョになり、網棚には私のリュックを載せる隙間はもはやなく、リュックを抱き上げてお漏らしの水溜りをよけ、煤煙で顔は真っ黒になり、飛行機は6時間待たされた挙句飛ばず、翌日飛べば飛んだでスチュワーデス(現在はCAですか?航空小姐ですね。)に鼻を鳴らされあごで指図され…北京から72時間かけてウルムチ、さらにその頃は双発の飛行機で3時間弱。そんなズタズタになった心で私がたどりついたのが、かつてシルクロードの真珠と呼ばれた街、カシュガルでした。
 
 
 カシュガル空港で同じ飛行機から降りたウイグル人の女性が、迎えに来ていた何人かの人と抱き合って声をあげて泣いていました。その光景だけでも、ここまでとは違う土地に来たんだなと感じたものです。ここは感情が豊かで熱い心を持つ人たちの暮らす土地なんだなと。
 
 
 日曜バザール。ロバ車と馬車でいっぱいの道。その頃は男の人はみんな腰にpichaq(短刀)を下げていて、それがカッコよくて何本も買っていたら、「俺のこのナイフを売ってやるぜ。良いナイフだぜ。40元でどうだ?(高すぎるやろ!)」と商売人でもないのに売りつけてくる兄ちゃん。内地の地方都市とは比べ物にならないほど豊富な品々。なぜか大きな鍋を頭にかぶっておどけてみせて「写真を撮れ!」というおじさん。鮮やかな色のスカーフとスカートが印象的な女の人。瞳の美しい美人。小さくてもしっかり働く可愛らしい子供たち。気が付いたら私の心はすっかりウイグルに「持っていかれて」いました。

 

ある日ふらっと散歩に出かけました。
記憶が正しければ毛沢東像に向かって右に曲がって少し行ったところに、小さな湖というか池があって、そこを左に曲がると坂道になっていて、民家がいくつか並んでいました。
ふと門から中をのぞくと、おばあちゃんとお母さんがたらいで洗濯をしていて、手招きをしてくれました。おばあちゃんは漢語が話せて、当たり前のように私を家の中に座らせ、干しブドウやお菓子を勧めて、白湯に角砂糖をポトンと一つ入れて出してくれました。家には小さな男の子が二人いて、そのうちの一人が我慢できなくなったみたいで、私の前のカップの中の溶けかかった角砂糖に指を伸ばし、お母さんに爆発的に怒られて泣きべそをかいてました。
 

 

おばあちゃんと思ったその人は聞いてみたら48歳で当時の私の母よりもずっと若かったし、今の私より一つ年上なだけ。そして彼女は「明後日は3番目の娘の結婚式だから是非いらっしゃい」と言ってくれました。「友達も連れてきなさい」と言われて、その日同宿していた日本、シンガポール、マカオの子と一緒に押しかけて、私はその結婚式で初めてウイグルの音楽を聴き、踊りを見ました。
 

 

 そしてたくさんのごちそうが並んでいる前で、知らない間にぽろぽろ涙を流してました。私がずっと長い間探してきたものはここにあったんだなーと。 
何のためらいもなく旅人を迎え入れ、歌って、踊って、笑顔が素敵で、そして深い目をした人々。
 朝早くから夜中まで人声が絶えない埃っぽい街と、カワプの匂い。
 ちょっと危ない目をした若い男の子や、自分の美しさを十分に分かってる女の子たち。
 ここからまだ西へずっと続くシルクロード。ポプラ並木。びっくりするほど綺麗な小川。アザーンの声。 
まさに「シルクロードの真珠」。その言葉通りの街だなーと。そしてこの人たちこそが「シルクロードの真珠」そのものだなーと。ここに来て良かったと、いつか必ずもう一度来ようと思いながら涙を流していました。
 
 
ウイグル語を勉強し始めてから、ウイグルには「客」に関する諺がたくさんあることを知りました。「mehman kelse,bext kelidu.(お客さんがやって来れば、幸せもやって来る)」「mehmaning kelishi ihtiyardin,ketishi sahipxandin.(来るのは客の自由、帰りは主人が許すとき)」 「tamaqqa ulgurup kelgen mehman,berketlik mehman丁度ご飯を作っている時に訪ねてきたお客様は、幸せをもたらすお客様」等々。
 私が彼らに幸せをもたらしたかどうかは分かりませんが、私は彼らの客になることで、大きな幸せをもらいました。
 
 
 ウイグルにいたのはたった3週間ほどです。良いところだけしか見てこなかったのかもしれない。でもこの3週間の記憶は、24年間私の心に居座り続け、夜は夢を見せ、そして日本でウイグル人の友達と巡り合わせ、ウイグル語を勉強する機会をくれました。
 これからもきっと居座り続けるのでしょう。本当は今はもう「もう一度ウイグルに行く」という願いは叶わなくても構わないと思っています。この記憶だけで十分なのかもしれないから。
ただ、ウイグルの幸せだけは、日本から祈り続けていこうと思っています。
 

 

24年前にカシュガルで買ったドッパと、今年ウイグル人の留学生の女の子が私にくれたドッパ。
(24 yil ilgiri Qeshqerde setiwalghan doppa bilen,buyil bir uyghur qizning manga bergen dopisi.)

 

   

 

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