2015/11/17号     

ヤルカンドからの贈り物

 Yeken manga berghan sowghat

  先日部屋の片づけをしていたら押入れの奥から1冊のノートが出てきました
そのノートを開いたとたん、スーッとある光景が浮かんできてしばらく思い出に浸ってしまいました
aldiqi nechche kun,yataqimdin bir kona depter  chiqip keldi.
shu depterning ichide yeken manga berghan sowghat bar idi.

 
 
 
 
あれは今から約7年半前の2008年5月26日、カシュガルを拠点に1ヶ月程滞在していた私は
近郊の町をあちこち訪ね歩いていました。この日は思い立って、早起きをしてヤルカンドへ。 
到着後は見どころでもあるアマニシャーハン墓(ヤルカンド・ハン国の第2君主の妻の墓)や
その向かいに建つ莎車王陵(ヤルカンド・ハン国の王宮)を眺めごく普通の観光を一通りした私は
休憩をとろうと郊外に向かって歩き始めました。
 しばらく歩いたところで目にとまった、ウイグル語でdukanと呼ばれる1軒の小さな商店、
その前には切り倒してそのままに置かれたポプラの木。
そのお店で水を買い、ポプラの木に座って行き交う人を見ていました。
 
 
 
これがこの宝物のはじまりでした
 
 
実は私がいたその場所は学校がすぐ近くにあり、通学路のような道だったのです。
そして偶然にも私がいたその時間は下校時刻でした。 
1人、また1人とこどもが前を通っていきます。
だんだんとまとまった数の子供が目の前を過ぎていき、
私はやっとここが通学路で、今下校時間なんだと気がつきました。
 
 
 
そこへ小学1年生のようなあどけなさのまだ残る、
とても可愛らしい少女がこちらを見て、私に気がとられて歩くスピードがゆっくりになっていきました。
当時ウイグル語が分からなかった私は目が合ったので、ただ笑顔だけで彼女へ挨拶を
すると彼女もまたはにかみながら笑顔だけで私に挨拶をしてくれました。
 
「隣に座る?」
 
とポプラの木を指さすと、とても恥ずかしそうにやって来て隣にちょこんと座りました
私は持っていた飴をあげて、ガイドブックを取り出し、旅をしていることを伝えました
そしてノートとペンも取り出して、ガイドブックにあった「旅のウイグル語コーナー」から
見よう見まねで「日本」とウイグル語で書き、「へぇーー」という顔をした彼女に
すかさず、持っているペットボトルを持ち上げながら
ウイグル語で今度は「سۇ 水」と書いたノートを彼女に見せると目をキラキラさせて笑ってくれました。
そして彼女は私のノートに「ئادىلە」と書き、ゆっくり「アディラ」と言いました。
ウイグル文字もウイグル語も全く分かりませんでしたが、
彼女が名前を伝えてくれていることは直感で分かりました。
 
5分ほど彼女とこうして遊んでいたでしょうか
しばらくすると小学校高学年と思わしき集団がこちらへ歩いてきました
彼女はそれに気づくと、その子たちが通り過ぎる前に私に手をふり、
また通学路らしき道を歩き始めました。
 
この小学生の集団は彼女とは正反対の、それはそれは賑やかで元気あふれる子たちでした。
私を見つけると、まず坊主でやんちゃそうな男の子が「ハロー!」とやってきました。
私の手の中にあったノートを見て「なるほど!」という顔をすると
私の代弁者のようにみんなに説明をし始め、
そうこうしていると私はあっという間にみんなに取り囲まれていました。
 
そして私はノートを1枚めくり、数日前に知り合った人がウイグル語で書いてくれた私の名前を見せました。
10数人が一斉に私の名前を、まるで発音練習でもするかのように口にしはじめ・・・
私が「あなたは?」という顔で、一番近くにいた子に手を向けると、
ノートとペンを貸してほしい、という仕草をしてノートへ書いてくれました。
そのノートを受け取ろうとすると・・・
ノートは隣の子へ、そしてまた隣の子へと回りはじめ・・・
いつの間にか私のノートには次々に子供たちの名前が書きこまれ、
後からきた別のこども集団、たまたま自転車で通りかかった子たちまで、
いつの間にか一列に並んでいて
どんどん、どんどん、まるでサインでもするかのように名前が書きこまれていきました。
 
外が賑やかなことに気付いた店主が「何事??」と店から出てきて、
申し訳なくなった私は状況を静めようと立ち上がり、バイバイと手をふってみましたが、
こどもたちの勢いが止まることはなく・・・
私のカメラを指さして「○○(←私の名前)、写真を撮ってほしい」というジェスチャーをするので
「じゃあ1枚だけね」と私は指を1本立てて見せてから
カメラを手にしてこどもたちを撮り始めました 
 
 
結局、というか・・・やっぱり、というか・・・ 
何枚も何枚も、
もらえないとわかっているはずなのに最高の笑顔で何枚も何枚も写真におさまるこどもたち
得意気にポーズを決める彼らを私はしばらく撮り続けました。
そして最後は見送られる形で私がその場を去り、私が見えなくなるまで、
みんなそこから手を振ってくれていました。
そして見つけた本日のお宿でもう一度休息をとりました
 
ベットに寝転んで撮ったばかりの写真を見ながら、
「この写真、あげたかったな」と何度も思いながら
たくさんの彼らの写真とまた少しボロボロになった私のノートををしばらく見ていました 
 
 
 
 
あれから7年、この子たちも10代後半になったでしょうか
大学生になった子や仕事をしている子もいるでしょうし、
お母さんになった子もいるかもしれません 。
街もきっと大きく変わったでしょう
あの場所は今どうなっているのでしょう
 
このノートを見るとあの日の光景、音や匂いまでもが漂ってきて
またこの子たちの賑やかな声がきこえてきそうです。
あの旅でもらった大切な思い出、これはヤルカンドの街が私にくれた大切な贈り物です
  
 
  
 
 
 
 
 
  
 
 
 

 

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